長く愛されるブランドは、どのようにして創造されるのか
2016/05/08(最終更新日:2021/12/16)
街を歩くと、あらゆる広告が目につく。ビルに掲げられた看板から、所狭しと貼られたポスター。大画面のモニターに映し出されるCMや、どこからか聞こえてくる新商品のプロモーションソング等。繁華街にでれば、広告に出くわさないことはない。
しかし、街を抜けたときにはどんな広告があったのか、覚えていることの方が少ないだろう。あれだけ多くの情報があったとしても、「受け手に伝わるもの」は非常に少ないのだ。
世の中には、数えきれないほど多くの商品やサービス、ひいてはブランドが存在する。それは飲料水だろうが化粧品だろうが変わりはない。あるカテゴリの数百種類という商品の中から、自身が気に入ったものを1つだけを取り出す。なぜ選んだのかを、消費者自身もわからないケースも多々ある。
「選ばれるブランドとそうでないブランドがあるのはなぜだろう?」。筆者が長い間、疑問に感じていることだ。どんな商品も作り手は手を抜いていないし、多くは特筆すべき欠点があるわけでもない。ただなぜか、繁栄するものとしないものが確かに存在する。これらには一体、どんな差があるのだろうか。
プロモーション量の大小で、愛されるブランドの創造は可能だろうか。常識的に考えて、販促予算はないよりもあった方がいい。大手メーカーは新商品を作った際に、これでもかと言うほどCMを流し、プロモーションソングを店内でかけ、街の看板全てをジャックする。
しかし、それでも定着せず、3ヶ月もすれば忘れ去られてしまう商品は存在する。これはどんな業界にも言えることで、市場の占有率は必ずしも販促予算に比例しない。予算を多くかけたからと言って、プロモーションが成功するとは限らないのだ。
「作り手のこだわり」さえあれば商品やサービスは売れる、という意見がある。「良いものをつくれば、自然と客はついてくる」という考え方だ。これも疑問を持たざるを得ない。もちろん作り手のこだわりは大事だし、それがなければ良いものなんて出来はしない。ただ今の時代、それだけでは不十分だ。市場にはものが溢れている。自社の商品を自然に手に取ってくれると思っていたら、それは販売努力でなくただの運任せである。良いものを作るというのは、必要条件であり十分条件ではないのだ。
反対に、市場には消費者に飽きられず、何十年と続くブランドが存在するのも事実である。例えば、サントリーのウーロン茶。サントリー創業者鳥井信治郎氏の口癖は「やってみなはれ」だったのだが、この現状を打破し新たなことにチャレンジすべきという精神は、現在のサントリーにも確かに根付いている。「結果を怖れてやらないこと」を悪とし「なさざること」を罪と問う社風が、ウーロン茶を生み出したのだ。
ウーロン茶が世にでたのは81年。当時、ペットボトルや缶入りの茶飲料はほとんど無く、お茶とは急須で淹れるものを指した。容器に入れて販売するものではなかったのだ。しかし、ウーロン茶の深い香りと味わいに興味を持った社員が缶飲料化を目指す。徹底的に研究を重ね、商品化を実現した。
その後35年以上に渡り、ウーロン茶が店頭に並び続けているのはご存知の通りだが、消費者に選ばれ続ける理由の1つにこだわり抜いたブランド戦略がある。思い返してみると、ウーロン茶の広告には味や効果を訴求するものは少ない。ほとんどの広告ではウーロン茶発祥の地である中国福建省をテーマとし、日本の田舎とは少し違った雰囲気の純朴さを伴うものとなっている。同商品を通して、中国のある地域が、近くて遠い、何か懐かしさを感じさせる場所として我々の心に形成されているのだ。商品パッケージもそれに合わせ、シンプルで無骨な、それでいて親しみやすいデザインを採用している。
驚くべきことに、このような「どことなく神秘的。だけど純朴」といった世界観は、販売開始から現在まで一貫して続いている。テレビを見ていても「これはウーロン茶のCMだ」と、商品名を見ずとも予想が出来るほどだ。徹底してウーロン茶の世界観を守り続ける姿勢をとることで、消費者の心に残り続けるブランドを確立しているのだ。
流行に流されない独自の哲学を構築し、それをコミュニケーションの中心に据え置くこと。そして、それら普遍的なメッセージを、誰もが理解できる形で語り続けること。実はウーロン茶に限らず、長く繁栄しているブランドはこういったことを一貫して行い続けている傾向がある。
例えばApple。同社の製品には一貫したメッセージが込められている。直観的で使いやすいシンプルなデザイン。社名を見ずともAppleの製品だとわかるほどにそれらは洗練されている。Appleがもし「Appleらしくない」製品を出したとしたらどうだろう。ユーザーはきっと、裏切られたような気分になるのではないだろうか。同社の株価にも大きく影響しそうだ。そして過去、もし同社の出す製品に一貫したメッセージ性がなかったとしたら、会社はとっくのとうに潰れていただろう。
一貫した哲学は、顧客との約束を守ることにも繋がるし、その企業や商品、サービスのアイデンティティを保つことにも繋がる。もしそこに哲学がなかったとしたら「○○に似たやつ」といったような相対的な指摘をされ、一気にコモディティ化が進み、衰退の道をたどるだろう。
そしてそれは、構築するだけでなく、伝え続ける努力もしなければいけない。あらゆるステークホルダーにあらゆるコミュニケーション手段を使って伝える努力を行うことで、受け手の心にブランドが形成されていくのだから。
長く愛される商品をつくる。会社をつくる。これは経営者や組織人の永遠のテーマだろう。長く愛されるブランドには理由がある。そして思いと実行する意思さえあれば、それはどんな組織でもつくることが可能であると、筆者は信じている。現在の大企業だって、始まりは小さな組織であったのだから。
ぜひ改めて、自社の哲学やブランドを見つめ直してみてほしい。