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人生100年時代と呼ばれ、余生をどう生きるのかが問われるようになった現代。
最近はFIREと呼ばれ、早期リタイア可能な資産形成の需要が高まっている。
『死ぬまでにしたい10のこと』という映画が人気になったように、人生には終わりがある上で「今」何をすべきか模索し続ける。
では、ここで一つ問いかけたい、重要な質問がある。
「あなたは何歳に死ぬ予定ですか?」
この質問に本気で向き合い、考えたことのある人は少ないであろう。なぜなら死は予測できず、決めることはできないからだ。だからこそ私たち人間は、生きている間に豊かな人生を歩めるよう努力する生き物だとも言える。
死を予測することは出来ないものの、必ず迎えるその日まで「自ら人生を選択する」ことが豊かに生きるヒントになる。
「自分らしく生きる」を問い直す
超高齢社会や無縁・孤独が進む社会に警鐘をならし、「新予防」・「医療」・「介護」・「在宅生活」の健康サービスを提供するのが、大阪の「豊泉家グループ」である。
コロナ禍においては、大阪府下の民間病院として最大規模にあたる60床のコロナ専用病棟を開設するなど、ひとや地域をつなぐ存在として最前線を走っている。
そんな豊泉家グループにとっての豊かさは以下のように記載される。
“人生にとって一番の至福は、良縁をたくさん積み重ねる事と”健体”と”康心”を合わせた『健康』を増進すること。人と人とのつながり『家縁社会』と健やかな体と康らかな心によって形成される『健康社会』の両面を実現し、北摂7市・阪神間7市・大阪市の15市を中心とした「家縁・健康社会」の創造をしてまいります。”
この「家縁・健康社会」実現のため、予防から医療、在宅生活から介護といった、一人ひとりにとって最適かつ統合的なケアコーディネートサービスが受けられるC.I.S(地域包括ケアシステム豊泉家モデル)として提供していることが大きな特徴である。
そもそも、地域包括ケアシステムとは、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で「自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう」地域の包括的な支援・サービス提供体制のことを指す。(参考文献:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/kaigo_koureisha/chiiki-houkatsu/)
厚生労働省においても、団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に地域包括ケアシステムの推進を図っている。この、ケアシステムの実現のため、1995年から働きかけているのが豊泉家だ。豊かな人生実現のため、自立と自由の家を謳い、介護「施設」とするのではなく、入居者の主体性を重んじた環境(=家)を作っている。
たとえば、認知症の個客(=個客は豊泉家の用語。患者のことを指す)が手づかみでの食事を求める場合、必ずしもお箸やスプーンで食事を行うことを押し付けない。豊泉家では一人ひとり向き合い、その個客にとっての「自分らしく生きる」を追求し、個客の想いを最大限尊重する。
『すべてが「想い」でできている。』という言葉を掲げ、生きることから最期まで、一人ひとりに対して向き合っている豊泉家の姿勢は、私たちがキャリアを考える上でも重要なことである。
終わりがあってこその「現在」
経済産業省のデータによると、キャリアを企業に依存できないフリーランスは「セルフブランディング力」(=自分を売る力)が高いと示された。対して、働き手の7割は「自分のキャリアやスキルを棚卸しした経験がない」ことも表示されている。
早期段階から自己と向き合い、何が強みとして売り出せるのかを考えることは結果、自分の人生と向き合うことにも繋がる。重要なのは、生き方そのものだけでなく、終わり方、つまり「死」に対しても考えることである。なぜなら「生死」そのものに向き合うことは自己を再認識することへ繋がるからだ。
死は終わりというネガティブな言葉として捉えられることもあるが、多面的に捉えるのであれば、自身の未来期間と考えることもできる。現在ではない、先の将来を表す言葉が死なのかもしれない。
予測不可能な未来に対して、私たちができることは「今」という時間に向き合い、問い続けることである。セルフブランディングの第一歩として、まずは自分と向き合うことから始めてみるのはどうだろうか。