五感を活用する新時代のブランド戦略
2016/11/14(最終更新日:2020/07/28)
先日、あるオフィスビルを訪問したときのことである。1F の入り口を通った瞬間、心地よい香りが空間いっぱいに拡がるのを感じた。それは不快なにおいをごまかすような芳香剤や消臭剤の類ではなく、ましてやビル掃除に使われるような洗剤でもない。おそらくこのフロア全体に漂う謎の香りは、訪問者の気分を向上させ、居心地をよくさせるよう意図的に仕込まれたものだろう。オフィスビルと言えば通常どこでも無機質なものだが、この建物、そしてこの空間はイメージを覆す。筆者は「印象的な受付だな」「また来たいな」と思い、ビルを後にした。
おそらく、このビルは「センサリーブランディング(マーケティング)」と呼ばれる施策を実行していたのだと思う。ここ数年、注目を集めているブランディング、マーケティングの手法だ。センサリーとは「知覚」「感覚」といったものを表す言葉である。すなわち「知覚や感覚など、人間の感性に訴えるブランディング施策」とでも、この言葉は訳せるだろうか。これが現在、注目を集めているのだ。
日本はご存知の通り成熟市場である。どんな市場においても便利な商品にあふれており、ユーザーからすると選択に困るほどであるが、提供側からするとそれは、機能的な価値で差別化しにくくなっていることの裏返しだろう。技術力、またアイディアともに拮抗しており、安くて質の良い代替品がすぐに手に入ってしまう状況だ。
そんな中、新たな差別化手法として注目を集めているのがこのセンサリーブランディングだ。商品の機能的価値を訴求するだけでなく、感性的価値を訴求することで選ばれる商品を育てようという試みである。顧客の感覚や感情を考慮した上でサービスを提供することで、記憶に残るブランドを育てるのが目的だ。
これはコモディティ化から脱却する、企業の新たな成長戦略の1つと言っても過言ではない。人間の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)に重きを置き、商品に機能+αの付加価値をつけることで、ブランドの個性を際立たせ、存在を印象付ける。筆者が「香り」でビルを記憶したように、感覚を入口にユーザーに「五感を通した経験価値」を蓄積させていく戦略なのだ。
実はこのブランディング手法、科学的にも理にかなっている。人間は7割以上の情報を視覚から得ていると言われているが、実は感情を支配するのが嗅覚など「視覚以外」の情報なのだ。これは恐らく、人間の本能に由来するものなのだろう。話はそれるが原始の時代、例えば夜の闇の中で頼りになるものは視覚より嗅覚や聴覚であった。周囲のにおいや音が、理性を飛び越え感性にダイレクトに響き、危険を察知していたのではないだろうか(あくまで筆者の予想ですが)。
もちろん、ロゴや商品デザインなどの視覚情報も十分に大切である。しかし、商品の香りや音が、購買動機に影響を及ぼす例は少なくない。
その最たる例に柔軟剤市場がある。旧来、柔軟剤に求められていたのは「柔軟性(肌触り)」「洗濯ジワの解消」など機能面の充実であった。しかし現在では「香り」を購買理由にあげる主婦が増えているのだ。その背景に、住宅事情や夜型生活への変化による部屋干し機会の増加や、旅行などを通した海外経験の増加により、香りの強い海外製品への興味が強まったことなどが挙げられる。数ヶ月前に2015年の同市場規模が1130億円に達し好調に伸びているとニュースになっていたが、同市場では機能の充実を前提に「香り」がシェア獲得の分水嶺になっているのだ。
もちろんこれは柔軟剤だけの話ではない。例えばANA(全日本空輸)も、ラウンジや関連サービスで独自の香りを導入し、センサリーブランディングに重きを置いている。
同社は現在、全国14箇所の空港内ANAラウンジにて香りの演出を行っている。出張などで飛行機を頻繁に利用する人なら気づいているかもしれない。「前進」「元気」「クール」といったイメージをもとにオリジナルのアロマを生成。空港ラウンジのエントランス、機内で乗客に配るおしぼり、アロマカードにその香りが添えられているのだ。
同社は2010年から「Inspiration of Japan」とキャッチコピーを掲げサービスを拡充してきたが、その一貫として香りの施策も導入した。機内でくつろぎを得た顧客に対して「またANAを使いたい」と思ってもらえるような配慮を随所に施しているのだ。またこのアロマは一般販売をすることで、家や仕事場でもANAのことを思い出してもらえるよう顧客接点を増やしている。
冒頭でも例に挙げたが、ホテルや施設内で香りを導入する企業は増えている。またそれだけでなく、高級車メーカーではドアを閉めるときに重厚な音がするよう「適切な音」を車に仕込んだり、ある外資系の歯磨き粉メーカーでは歯磨き粉の独特な味を特許取得したり、感性重視の施策を採用する企業は増え続けている。多くの企業が、この新たなブランディングに取り組んでいるのだ。
またこの流れは今後も加速すると思われる。昨年4月より知的財産において、従来の文字や図形に加え、音、動き、位置、ホログラム、色彩に関しても商標を取得することが可能になった。これは例えば、企業CMに使われた映像などにも商標が適用されるということだ。今後は「香り」「味」でも商標が取得できるようになるだろう。すでに欧米ではこれらの項目でも取得可能なため、日本もそれに追随するのは想像に難くない。
新たなブランド戦略として注目を浴びている、嗅覚や聴覚、味覚などに訴えかけるセンサリーブランディング。まだまだ導入している企業やサービスは少ないが、国内のような成熟市場では無視できない手法となっていくだろう。ひょっとしたら近い将来、プロダクトを出荷する際にイメージにあった香りづけする、音をつけるといったことは当たり前になっていくかもしれない。
自社のサービスやプロダクトではどんなセンサリーブランディングが出来るだろうか。あらたな販売戦略の一環として探ってみるのも面白いかもしれない。